ホンダ・アスコット(初代E-CB4)2000FBX-i 4AT
ホンダなんて原チャリ屋さんーと思っていたオヤジ殿が突然ホンダに目覚めた。それまでホンダなぞ比較検討の俎上にも載らなかったのだが。モノはスポーツグレードの2000FBT-iをエリック・クラプトンが宣伝していた初代アスコット、"Ladies and Gentlemen,This is 90's ACCORD"の兄弟車ですな。
グレードは上から2000DOHC PGM-FiのSi、同SOHCのFBX-iとFBT-i、それのキャブ版のFBXと1800のFBX、FBだったかと。Dジェトロニック・・・ではなくPGM-Fiで我が家初の燃料噴射を体験することになった。馬力もネットで130PS、前のギャランΣのグロス110PSなぞ比較にならない。我が家の愛車に「速い」という新たな価値基準をもたらした上、燃焼が安定していて実にスムーズであった。エンストするなんてありえない。
やはりこれもオヤジ殿が見た目につられて買ったのである。が、 自分としては6ライトの処理がリアドアの三角窓のせいで実質8ライトになっているところとか、リヤのテールランプ間はナンバーではなくガーニッシュで埋められているところがいまいち納得いかず、アコードの方がよろしいなと思ったが、それでも90年代初頭のホンダらしく車高べったべたな感じでスタイリッシュではあった。5ナンバーフルサイズ、ついにドアミラー。
装備的にはどうだろう・・・もはや現在(2008)とあまり変わらない?と思ってしまうが、いやいや、カーナビは普及してないしCDプレーヤもチェンジャもオプション、DVDなんてそもそも存在しないし、運転席エアバッグもオプション、助手席はそもそも設定がなかったのでは?ABS(この時代のホンダは4w-ALBと呼称していた)もオプション、そのかわり機械式4WSが装備されていた。4WSは一世を風靡したがいまやほとんど絶滅してしまったな。日産はほとんどムキになってるが。
細かく言えばオプティトロンメータもHIDヘッドランプもない時代だったが、バブルにいたってようやくクルマが「衣食足り」たように思う。この頃からパワーなどの単なるカタログスペックだけでなく、車体剛性や防錆処理、塗装品質といったもっと手間とコストのかかる商品価値に目が向くようになり、日本車の寿命がどんどん延びていくことになる。
OEタイヤはDUNLOP Windsor(パターンコード失念)185/60R 14。アスコットにウィンザーって英国趣味だな。このころのホンダはROVERに技術供与してたしなあ。Windsorと聞いてFord V8を想起するのももちろん間違いではないが。
実際に英国で発売されたのはアスコットイノーバ・・・ではなく、それに似てるけどHTではなくてセダンタイプの5ドアの英国アコードですな。これの4ドアの兄弟がROVER 600か。これは見た目が実に良さそうであったが中古が爆安。思わず買おうとしたら英国伝統の品質でミニばりにぶっこわれること、その割にパーツの廃盤が鬼のように早い(っていうかROVER自身がBMWに振り回された挙句破綻した)ことで諦めることになった。
そういえばWindsorからMichelin MXTに換えたら見た目が地味になったがノイズが穏やか、あたり柔らか、グリップそこそこ、多少の雪でも苦にしないなど、バランスが向上したな。
購入時に比較対象となったのはX80系マークII後期、ビスタHT、C33ローレルとセフィーロ、ディアマンテか。マークIIはセダンだけだったと思うが、古い7M-GEを積んだ3000グランデGという下手なクラウンよりよっぽど高い変なグレードがあった。こんなもん誰が乗るんだろうと思っていたら、しこたま収賄して捕まった国の役人がこれに乗っているのが写真に写っており、クルマ好きの友人と大笑いしたものだ。売れ筋は勿論ハードトップの1G-FE搭載2000グランデだが、1JZ-GTE搭載のGTツインターボがあるかと思えば2400ディーゼル/1800スーパーカスタム(リアサスはリジッドで古い設計のホーシングのためリアタイヤがフェンダーの奥に引っ込んでいる・・・つまりフロアパン含め現在のXSクラウンセダン/クラウンコンフォート/コンフォート兄弟と同じもの)まであり百家争鳴の感があった。
ビスタHTは見た目実にボリュームと高級感があった、ちいさなセルシオと言いたいぐらいだ。レクサス開業時には初代セルシオがLSとして投入される一方、この頃のビスタHTより1世代前の兄弟車、初代カムリプロミネントV6が初代ESとして投入された。このプロミネントはレクサスというには若干貧乏くさく、2代目まで待てばよかったのにと思われた。結局ESは早々に"Are you windom(初代)?"に取って代わられることになる。
C33ローレルもマークIIほどではないにせよ、いろいろなグレードがあった。売れ筋はやはりRB20E搭載2000メダリストだとして、RB25DETクラブL、RB20DETターボメダリスト、RB25DEクラブS、RD28(ノンターボ)メダリストなんてのもあった。RBエンジンに派手な外観で走り屋にも好まれたが、このローレルはピラーレスHTで車体やわやわ、電柱にぶつけたら車体まっぷたつというおもしろカーでもあった。一方セフィーロは形は未来的丸餅デザインにS13同様のエリプソイド=プロジェクターヘッドランプ、キャッチコピーはくうねるあそぶ、あるいは井上陽水が「お元気ですか」と語りかける(あげくに昭和天皇危篤だというのにお元気ですかもなかろうという妙なバッシングを受ける)、脱力系ではあったがボディは普通にピラー付きのセダンであり、実はローレルよりまじめだったという。
税制変更で3ナンバーが身近になった丁度そのとき、3ナンバー専用ボディと2500CCエンジンという時代の寵児をひっさげて華麗にデビューしたのがディアマンテ。内装、外装とも日本車離れしつつどこかの明らかなパクリでもない、あえていうならビーエム臭いが一番似ているのがノイエ・クラッセのアヴァンギャルド、BMW2000であるからパクリというのはかわいそう、というとんでもないおしゃれさんにオヤジ殿もわたしも過去の三菱を忘れて興奮したものだ。生産中止となったトレディアとギャランΣの屍とゾンビ化したランサーEXを踏み越えて生まれた新生ギャランに続き、特徴的な凹面でボディ全周をぐるりと囲み(観光バスの2代目エアロバス・エアロクイーンにまで波及した、これは初代のセッサーノデザインに続く三菱なんでもフルライン現象)、メカニズムはオールホイールコントロール、即ち4WDと4WSの組み合わせ。日本の高級車、というよりアウディ・クワトロ以外の高級車に4WDというジャンルを普及させた先駆けといえよう。(実質ディアマンテのクーペである)GTOと同じメカを持つトップグレード、30R-SE 4WDはバブル崩壊までのほんの一瞬だけにせよ、燦然と光り輝いたのである。もちろん売れ筋は25V-SE、25V、20Eといった普及グレードではあったが、ライバルより2500比率が高く、車格は上だったといえそうだ。
実はディアマンテのもっともエポックメイキングな点は「コンソールの一等地に置かれたアナログ時計(Jeco製)」にあると思う。目立つアナログ時計というのは当時マセラーティぐらいしかなかったが、ディアマンテの金時計はあっという間に国産各社にパクられ、めぐりめぐって最終型セド・グロのインパネを丸ごとパクったメルセデスW221(現行Sクラス)に至っているのだ。一方でレクサスはこの風潮を嫌ったのか、LSにも素っ気ないデジタル時計しかつけていない。レクサスの想定する顧客のはめている腕時計は、ときによりレクサス1台分を超えるようなとんでもない値段がするのだから変に気取らない方がよいということなのだろう。
日曜日, 5月 18, 2008
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