トヨタ・スプリンターE40系
記憶にある最初のクルマ。オヤジ殿の3台目の愛車。4MT。
3代目前期というやつ。50年排ガス規制のシールが助手席側ドアガラス前端に貼ってあり、TTC-C(酸化触媒)のバッジがトランクリッドに貼ってあった。
グレードは1600XL、だったような気がする。
規制対応ってのは必須事項なんで別にわざわざバッジ貼らなくても良さそうなものだが、この頃は各車がCVCCだNAPSだMCA-JETだAPだSEEC-Tだなんてバッジを貼っていた。なかなか凝ったデザインで、ブルーのワンポイントが入ったりして、ノリは2000年代初頭におけるハイブリッドと全く同じ。違うのは、規制対応車の場合はパワーも燃費も激悪だったことだ。
このころのクルマはだいたいどれもそうだが、このスプリンターもエンブレム類が妙に精巧だったり、とにかく見てくれにこだわって作られた感じ。装備は貧弱だが見た目に豪華。
スタイリングは当時の大衆車の例に漏れず、マスタングを基本にダッジなどクライスラー系のエッセンスで上品さ?を醸し出すというもの。エクステリアもそうだし、インテリアも(160km/hフルスケールの)メーターパネルやステアリングホイールなどマスタングのマック1やらグランデやらのそっくりさんだらけ。豪華装備としては助手席側グローブボックス奥に日本電装(丸にND)製クーラが鎮座していた。
このモデルの直後(後期50系頃)から妙に日本車の顔が暑苦しくなってしまい、子供心に大嫌いだった。黒基調にガンメタ塗装やメッキでゴテゴテと飾り立てたグリル、鉄チンのメッキバンパのクリーンさをぶち壊す黒のウレタン樹脂の付加物、無駄なオーバライダ。トヨタはそれほどでもなかったが(安全コロナはたぬきみたいで嫌いだった)、名車初代シビックも好きになれなかったし、チェリーFIIとかサバンナとかあとレオーネとかレックスとかはトラウマ級に気持ち悪くて嫌だった。この無駄なデザインブームはアウディ100に代表される空力指向とフラッシュサーフェス化、異形ヘッドランプの普及ですぐに終息するが、このころの記憶から初代レガシィ登場に至るまで、つまり昭和を通してずっとスバルは大嫌いだったのだ。アルド・セッサーノのおかげか、ヨーロッパ調のクリーンなデザインで通した三菱に興味を持っていた。これはオヤジに似たのか。まあ、そのせいでこの後ヒドイ目に合うわけだが。
シートはビニールレザーとファブリックのコンビというスポーティなもの(ランカスターのに似ている、ただし黒ベース)。後席の脇腹のあたりはリアのホイールハウスに蹴られる、というかその部分はシートクッションがなくてビニールレザー張りのホイールハウスが室内に露出する、という現在からは想像もつかない代物。 大人にはつらかろうが、子供としてはホイールハウスを枕にして寝る、という芸当が出来た。枕としてはクッション性がないので寝心地は悪かったが。
日曜日, 5月 18, 2008
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